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 初航海のとき、先輩たちから「揚げ縄中は縄を踏むな!」「縄を手に巻いてあげるな!」と口やかましくいわれた。もし、その縄にマグロがかかっていれば、急にマグロが走り出し、縄が身体に巻きついて、海にもっていかれることがあるからだ。
 マグロを仕掛ける延縄には釣り針が3000本ぶらさがっている。100キロ、200キロの巨大マグロが食いついてもビクともしない鋭いカエシのある3,5寸のマグロ針を、漁師たちは≪地獄針≫という。
操業中のケガは、この釣り針による事故が多く、作業中は釣り針に神経をとがらす。激しい潮流に縄がもつれて甲板に揚がると、事故を防ぐために釣り針を切っていく。
 前方から襲いかかる三角波に翻弄されるマグロ漁船。大きなうねりに船体が傾き、地獄針が強風にあおられて凧のように空を舞う。マグロ漁師は、地獄針という凶器から身をかわしながら、今日も縄を揚げている。

 

 不漁が続き、操業回数が増え、航海が長くなると、日本で積み込んだ漁具や日用品や食糧・エサなどが切れてくる。それを日本を出港する仲間の船に届けてもらう。洋上で船と船を寄せ合って搬送品を受け渡しすることを、会合という。
 洋上に浮かべた救命ボートに搬送品を積みこむと、船はボートから離れる。依頼した船はボートに近づいて搬送品を受け取る。その中に、船員の家族からの手紙や、差し入れも届けられる。会合は船員たちにとって、何よりもの楽しみである。
 操業中の合間に、読み終えた雑誌や見終えたビデオテープを交換したり、病人やケガ人を補給に入る船に搬送してもらったり。海の男たちは、助け合いながら操業を続けている。

 

 食堂の黒板に毎日「入レ2時」とか「アゲ13時」などと時間が記される。入レは投縄開始時間で、アゲは揚げ縄時間である。延縄を入れて、揚げて、また入れる。来る日も来る日も同じ作業の繰り返し。漁があるかぎり、荒れ狂う海での作業が休みなく続く。
 2トン、3トンときていたマグロが突然パタッと食わなくなる。150キロの幹縄に仕掛けた3000本の釣針に痩せたマグロがわずか2本、3本。1本のマグロもかからない不漁が続く。
 漁労長は海図をひろげ、過去のデータをめくる。月を見上げ、水温を計り、潮目を見る。マグロは群れをなして回遊する。その大群は散ってしまったと判断した漁労長は、食堂の黒板に「入レズ」と書く。
 マグロは水温で釣るといわれている。水温を計りながら、漁場を移動することを「適水」という。日曜も祝日もなく働き続ける船員たちにとって、適水はありがたい休息の時間である。たまった疲れを一気に挽回するチャンスでもある。ハウスの布団にもぐって、ひたすら眠り続ける。船内は静まり返り、食堂の配膳棚に夕食のおかずが手付かずのまま並んでいる。
 適水は半日走るのか、1日~2日走るのか、漁労長以外、誰も分からない。いつスタンバイが鳴ってもいいように死んだように眠る。寝静まった船内をウロつき、酒を飲み、ラーメンを食べ、テレビをいつまでも見ている船員もいる。長い航海中、スタミナが切れて体調を崩し、飛行機で帰国させられるのは、そんな船員である。
 漁師は寝るのも大事な仕事。寝だめできる船員は仕事もよくできる。船では寝ることを「寝ワッチ(当直)」という。

 

 「近頃、マグロの腹には、可哀想なくらい何も入っていない」と、マグロ漁師からよく聞かされる。エサがなく、痩せて、脂がない。その原因のひとつがクジラだという。捕鯨反対で年々増え過ぎ、水平線がクジラで真っ黒になることもある。ミンククジラを例にとれば捕鯨禁止前の 10倍で、そのクジラが食べる魚の量は3億トンから5億トン。人間が漁業で獲る魚の3倍から6倍に上るとまでいわれている。
 そのクジラの天敵がシャチである。成長すると体長が9mにも達し、高く突き出た背ビレが3m近くにもなる。シャチは「人喰いクジラ」と呼ばれるほど獰猛な生物で、巨大なナガスクジラさえ襲って食べる。調査船の報告では、体長7mのシャチの胃袋から、13頭のイルカと14頭のアザラシが確認され、海の殺し屋として恐れられてきた。
マグロ漁船でも、赤道近くでよくシャチの被害にあったが、高緯度の海域ではシャチの姿が見えても被害はほとんどなかった。むしろ、近くでシャチをみかけるとよくマグロが釣れることが多かった。シャチに追われて錯乱状態に陥ったマグロが、次々と延縄の仕掛けにかかっていく。ところが、そのシャチもエサ不足からかマグロの味を覚え、どの海域でも釣針にかかったマグロを襲うようになった。
 シャチは人間の3倍以上の頭脳をもっているといわれるほど賢い。マグロ船にピッタリついて、縄を伝わって釣針にかかったマグロを次々と食い荒らす。さらにUターンして、新しく掛かった獲物を狙う。シャチは釣針を知っているので、自分が掛からないように頭だけを残して全部食い尽くしてしまう。
 ちょっと余談になるが、航海中に艫で麻雀をやることがある(船にもよるが)。早く勝負がつくように3人打ちで、船が傾くので毛布を敷いて、麻雀パイを伏せてやる。
船では「ロン!シャチ回し」という上がり手がある。チートイツ、ニコニコのこと。そのココロは、頭だけ…。
 その「シャチ回し」というのは、船がシャチに狙われたとき、縄を半分入れてラジオブイをつけて漁具を切り離す。シャチをその縄に誘導しておいて、しばらく船を走らせ残った縄を入れる。シャチに追われて逃げてきたマグロを、その半分の縄で捕獲しようという作戦。マグロ漁は、人間とシャチとの知恵比べでもある。

 

 先日、ぼくが乗っていた遠洋マグロ漁船「第36合栄丸」の元漁労長、山田勝利さんから、新聞が送られてきた。2007年12月20日の高知新聞で、《わが町の100年 室戸の遠洋漁船1980年ごろ》というタイトルのコラム記事で、とても懐かしく読ませていただいた。
そこに赤道祭りのことが詳しく書かれているので、ここに紹介させていただく。
《きずな深める赤道祭り》
カツオのたたきに空揚げ、すし、そうめんなど豪勢な料理を車座になって囲む男たち。1980(昭和55)年ごろ、室戸市の旧室戸漁協に所属する遠洋マグロ漁船「第36合栄丸」がインドネシア付近で赤道を通過する際、航海の安全を祈った「赤道祭り」の光景だ。
県鰹鮪漁協(現・県まぐろ船主組合)がまとめた漁獲統計によると、昭和55年の所属隻数は140隻、水揚げは約350億円。当時は本県の遠洋鮪漁業の最盛期だった。
写真左奥で酒を飲んでいるのが当時の漁労長、山田勝利さん(69)=同市吉良川町。山田さんによると、料理を作ったのは炊(かしき)を勤めていた斎藤健次さんで、斎藤さんは後にノンフィクション「まぐろ土佐船」を書いた。
赤道祭りの意義について、山田さんは「乗組員は室戸だけではなく全国各地から集まった人たち。酒を飲みながら話して『この人はかなりベテラン』『こっちは経験が浅い』とか、互いに"品定め"するんよ」と話す。
一歩間違えれば命を失いかねない危険な現場。きずなを深め、うまく連携を取るための大事なうたげだった。写真に写っている漁師のうち、既に数人はこの世を去った。「当時はつらいこともあったが、人生をやり直すとしても、もう一度彼らと赤道を越えたい」と山田さん。しみじみと当往時を懐かしんでいた。
(2008年2月7日)

 

 マグロ延縄漁は、漁労長の腕次第だといわれている。1年以上も長い航海をする遠洋マグロ船は、億単位の金が動く。船主からその船という財産と、乗組員の生命を預かる最高指揮官であり、乗組員は漁労長を「船頭」とか「親分」とか「親父さん」と呼んだりする。
漁船の場合、漁場の選択など操業に関する全責任を負っているのが漁労長なら、操船の責任者は船長である。船具や食糧の積み込み、航海事務、外地出入港の渉外担当などにあたり、船員法で医者や警察に代わる権限が船長に与えられている。たとえば、操業中に船員が大怪我をしたとき治療のために帰国させたり、喧嘩などで傷害事件をおこした船員を船内に監禁し、強制送還することもできる。
沖で操業中の船は、通信長(局長)がその日の漁獲量を船主に報告する。かつては、近くで操業中の船に分からないように暗号で送ったが、最近は衛星通信の飛躍的な発展で暗号も、SOSもなくなりつつある。毎日の操業報告もファックスで送り、緊急の場合は船舶電話もある。地球の裏から家族へ、携帯電話で話すこともできる。通信の発展は、シケと戦う船員たちにも大きな力となっている。
マグロ漁船は、甲板部と機関部とに分かれており、一等航海士(チョッサー)は甲板部の仕事を指揮監督し、甲板長(ボースン)が甲板員に仕事を指示する。釣り上げたマグロを凍結し、荷崩れしないように魚倉に納めていく責任者が冷凍長。投縄がすぐに出来るように、艫(トモ)で枝縄やビン玉の整理をするトモのおんちゃんはベテランの甲板員があたる。
機関部のトップ、機関長の下に、一等機関士(ファースト)、二等機関士(セコンド)が控え、油差しの機関員に仕事の指示をするのが操機長(ナンバン=№1オイラー)である。
船長、通信長、航海士、機関士は海技資格が必要だが、漁労長や甲板長、操機長は資格がなくても従事でき、免許より経験が重視される。
乗組員の総数は、船によってまちまちだが、20名から25~6名といったところか。その賄いを司厨長(コック長)が一人でこなす。操業中は4食、限られた食材でシケの中、帰港まで休みなくメシを炊き続ける。
ぼくが乗務していたときは、全員が日本人だった。いまは、給料の安いインドネシア人が15~6名。日本人は海技免許をもつ幹部7~8名ぎりぎりの人数で、やっと船を出しているのが現状である。
(2008年1月7日)

 

 「いらっしゃい!」
 嵐の海に、先引きの掛け声が響き渡る。と同時に、延縄を巻き上げるラインホーラーが「キューン」と唸りをたてて止まる。
 「トッタリや!」マグロが食いついた枝縄に、トッタリという予備の縄をスナップ止めして、延縄から外す。トッタリとは、漁師仲間言葉で、とりあえず、という意味。甲板作業中に手を抜いたりすると、「コラ!トッタリみたいなことすな!」と先輩たちから怒鳴られる。
 二人がかりでマグロ縄を引く。その二人を挟むように、モリ打ちとカギ手が獲物を待ち構える。舵を握る船長がマグロの動きを見ながら操船し、徐々に引き寄せていく。シュッ、シュッとテグスと軍手がすれる音。マグロは船底へと逃げ込む。人間とマグロの死闘が1時間にも及ぶこともある。力尽きて海面に浮き上がったマグロ目がけてモリが飛ぶ。白い飛沫あげて暴れ狂うマグロの頭めがけてもう一矢。もし、頭を外して胴体にでも刺されば、キズモノで売り物にならず、船員たちのオカズとなる。致命傷をおったマグロのエラにカギを打ち込み「セーノ」で甲板に引き上げる。
 脳天から脊髄にピアノ線を差し込んで神経を抜き、一発で〆る。傷つけないように、毛布の上で手際よく解剖する。海面から上がった鮮度のまま、-60度の急速冷凍室で骨の芯まで瞬間に凍結する。
 一度、マグロのナブラ(魚群)に遭遇すると、1本数10万円もするマグロが鈴なりにかかってくる。甲板はマグロで覆い尽くされ、解剖で捨てられるハラワタを狙って、海鳥が群れる。
 延縄にかかったマグロが暴れまわり、縄が団子のように絡まって上がってくる。これを〈マグロのおみやげ〉というが、このもつれた縄が甲板の隅に山のように積み上げられる。残業で一本、一本再生しなければならない。
 150キロの幹縄が途中で切れることもある。何時間、何日かかろうとも、縄を探さなくては商売ができない。全員がずぶ濡れになって、アッパーデッキに並び、縄に付けたブイや浮き玉を探す。闇黒の大海原をなめるようにサーチライトが動く。漁があるかぎり、船員たちがどんなに疲れていようが操業は続く。
 漁がなければ、縄は順調に上がり、縄のもつれも残業もない。適水(漁場探し)で走れば一日中、何もしないで寝ていられる。身体は楽だが稼ぎにならず、それだけ帰港が一日、一日と延びていくことになる。
(2007年 11月19日)

 

 ミナミマグロの漁場、アフリカ大陸の南端ケープタウン沖まで、40日余かかる。時速11ノット。自転車のようなゆったりとした速度で、漁場を目指してひたすら南下する。
朝、日の出とともに起き、朝食を食べていると、スタンバイのベルが船内に鳴り響く。甲板に船員たちが車座になって漁具の仕掛けを作っていく。枝縄にナイロン、釣針、スナップを取り付けていく。150キロに繋げた幹縄を縄小屋に収め、ランプ、ラジオブイ、ビン玉を艫にセットする。
昼食の後、午後も3時ごろまで甲板作業が続く。散水機でデッキを流し、汗で濡れた作業着を洗濯機に放り込み、風呂に入る。洗濯も風呂も海水だが、上がりのシャワーだけは真水が使える。あとは夕食、寝るまでは自由時間だが、交代でワッチ(当直)がはいる。甲板員はブリッジ(操舵室)で見張り2時間、機関員は機関室で機械の点検3時間。湯上りに、デッキに腰かけて冷えた缶ビール(個人が積み込んだ)をグイと飲む。
波ひとつないとろりとした水飴のような海面を、飛び魚がバッタのように飛び跳ね、イルカが船とスピードを競うように船首でジャンプする。無人島から白煙。マストにどこから飛んできたのか伝書鳩が羽を休めている。
セベレス島、ミンダナオ島、バリ島…。ラジカセから、ビリーボーン楽団の「波路はるかに」「白い渚のブルース」の軽快なリズムがマッチング。水平線に陽が落ち、南十字星。
航海中、ブリッジでいった漁労長の言葉がまだ耳に残っている。
「こうして一日中、海を見ていても飽きることがないがやき。オカでくよくよ考えていることが小さくてバカバカしくなってくる」
今もできることならマグロ船に乗りたいと思う。一年以上もかけて自分たちが釣り上げたマグロの水揚げを見たい。大漁旗をはためかせ母港に帰港するあの感動をもう一度味わいたいと思う。
(2007年 9月7日)

 

 操業中のマグロ船は、3ヶ月から100日に一度、補給のため外国の港へ寄港する。3~4日停泊し、燃料、水、食糧、餌などを補給。乗組員は船長から入港金(ぼくが乗船していた頃は10万円)をもらって上陸するが、パスポートは持っていない。船員手帳がパスポートの代わりを果たし、船員交代のため飛行機に乗る場合でも船員手帳があればいい。
 入港中、船員たちは家族に電話をかけたり、手紙を出したり、ショッピングを楽しんだり、国際親善をしたり…と思い思いに休暇を過ごすが、コック長は入港中も船員たちの食事を作らなければならない。だからコック長は日本を出港したら帰港するまで一日も休みなく、むしろ補給は食糧の積み込みなどで忙しい。注文した食糧を満載した大型トラックが船に横付けされ、船員たちが一列に並び、手渡しで船に積み込んでいく。10キロ入りキャベツ30箱。10キロ入りジャガイモ20袋、玉ねぎ20袋、牛ロース50キロ、ヒレ50キロ、タン20キロ…。
 沖では水は貴重だが、入港中は自由に使える。ホーレン草をどっさり湯がいて冷凍したり、白菜の漬物をたっぷり作っておく。補給のときにこうして食材を仕込んでおけば沖で自分が楽になれる。
 補給でいちばんの楽しみといえはなんと言っても、日本の家族から送られてきた荷物だろう。子供を撮影したビデオテープや便りや写真、新聞、雑誌、本や酒、肴、菓子やカップ麺などが入っていることもある。
 マグロ船がよく補給に入る港は、カナリア諸島のラスパルマスとの南アフリカのケープタウン、南米ペールーのカヤオ。ぼくが3航海で寄港した港は、南アフリカのダーバン、ケープタウン、ポートエリザベス、ダカール、ラスパルマス、オーストラリアのフリーマントル、タスマニア島のホバート、ニュージーランドのウエリントン、南米のモンテビデオ、パナマのバルボア。ミナミマグロを追っていたので、南半球の港が多かった。
 いま、経費節約のために、入港しないで洋上で補給する船が増えたと聞く。半年以上もオカに上陸することができず、来る日も来る日もシケの中でマグロと闘うマグロ漁師。想像するだけでもつらい。
 (2007年 7月9日)

 

 マグロ漁船がまだ木造船だったころは航海も早く、見習い船員はメシ炊きから叩きあげられた。このメシ炊きのことを「カシキ」といい、古い船員たちは皆カシキの経験がある。だから漁師は料理が上手い。マグロのハラワタで簡単に酒の肴を2~3品作ってしまう。延縄にかかったマンボウだって海ガメだって実にうまく料理する。
 遠洋マグロ漁船は船の近代化とともに航海が長くなり、専属のコックが乗務するようになった。コック長とか司厨長と呼ばれるが、一人で20数名の乗組員の賄いをこさなければならない。航海中は3食、操業中は4食。シケで縄がもつれたり、切れたりすればさらにもう1食。食器を洗い、食堂を掃除して、米をとぎ、また調理にかかる。
 職場は暴風圏。蛇口をひねると水が斜めに流れ、野菜を切っていると、だんだん前のめりになり、しばらくすると反りかえる。だから、滑らないように調理場に毛布を敷き、鍋、炊飯器、ヤカン、は飛ばないように、がっちりと固定されている。
 食堂のテーブルには濡れたバスタオルを敷いて、調味料は木ワクの中に。船員たちは、波のリズムにあわせて食事をする。おかずを飛ばされたら、その人間のおかずはない。船が傾く前にパッとおかずの皿をつかむ。
 揚げ縄作業が延々15時間にもおよぶ。コックは船員たちの胃袋を満たさなくてはならない。煮込みうどんに丼めしは当然。カツ丼をおかずに、めしを食べる者もいる。カレーは自分で盛り放題。焼肉は大量の肉をドンと盛り上げる。外地で補給した肉は硬いのでステーキよりも、ビーフシチューやスジ肉の味噌煮などにしてトロトロに煮込んだほうが美味い。いろいろ、手の込んだレストラン風の料理よりも、じゃがいもの煮ころがしや、イカ大根、アラ炊きのような家庭料理が喜ばれる。
コックは献立表を作って、その通りに調理をこなしていけばいいのだが、それがワンパターンになって「晩めしはハンバーグだ」と船員たちに手の内を見透かされるのはまずい。「今日は何だろう?」という期待感が最高の味付けであり、寒いときはぐつぐつ煮込んだ熱いものを、赤道直下の暑いときは、氷をたっぷりいれたソーメンや冷奴が何よりのご馳走だろう。
毎日、毎日、海と空だけの世界。変化といえば食事だけ。沖では食べることと、寝ることしか楽しみがないと船員たちはいう。仕事のできる人間ほど、よく食べて、よく眠る。
 (2007年 6月7日)

 

 父親が若い頃、外国航路の船乗りだった。子供のころから海の話を聞き、海に憧れ、宝島、キャプテンクックの冒険、15少年漂流記などの海洋冒険小説に胸をおどらせた。湘南海岸へよく行っては、沖行く大型船を見て水平線の向こうに思いを馳せた。
 だが、海の道には進まず、雑誌の編集の仕事についた。25歳でフリーになったが、だんだん仕事も預金通帳の残高もなくなり、建設現場の日雇いでその場をしのいでいた。力仕事とは無縁だったぼくは、毎日日雇い労働でくたくたになった。現場で怒られながらも汗を流して働く爽快感を知った。モノ書きとしての限界を感じていたとき、新聞の小さなコラム記事にクギづけになった。
 土佐のマグロ戦士たち。たしか、そんなタイトルだった。命を賭けて地球の果てまで高価なマグロを追う漁師たちが、実に生き生きと書かれていた。読み終えたとき、ぼくも土佐のマグロ船に乗りたいと思った。がむしゃらに体を動かし、自分がどれだけ通用するのか試してみたい。子供の頃から船乗りになって赤道を越えてみたい。マグロ船に乗れば、そんな夢がかなえられるかもしれないと、東京の生活を捨てて、高知県室戸市の船員斡旋所を訪ねた。
 知り合いも紹介者もいなかった。経験がない。身元の保証がない。見習いで乗るには28歳では年がいきすぎていた。仕事のできない人間を乗せるほど、マグロ船はあまくなかった。だが、あきらめるわけにはいかなかった。決心が揺らいでも、東京には戻れないように、アパートは引き払い、生活道具も処分した。自分で船を探すしかなかった。
 室戸市の隣町、安芸市内のスナックで働き、昼は大衆食堂の手伝いをしながらチャンスを待った。料理のできる船員は重宝がられると聞いて、必死で料理を覚えた。タバコをやめ、海岸を走って体を鍛えた。店にはよく船員が飲みにきて、自分を乗せてくれと頼み込んだが「東京モンにはマグロ船が務まるか!」と、相手にしてもらえなかった。だが、どうしてもマグロ船に乗りたい、という決心は変わらず、あきらめなかった。そこまで言うのなら、と知り合いになった甲板長が引き受けてくれた。室戸船籍『第16合栄丸(299トン)』に機関部員として雇用されるまで、1年半かかった。
 (2007年 4月26日)

 

1978年、僕の初航海は南アフリカのケープ沖から始まって、豪州オルバニー沖、タスマン海、ニュージランド沖へとミナミマグロを追い、1年余で満船帰港した。二航海目は、ニュージランドに漁がなく南大西洋のアルゼンチン沖まで出漁したが,それでもミナミマグロだけでは魚倉は埋まらず、西アフリカのアンゴラ沖でメバチマグロを釣った。この航海は2度の転載をしての操業となり1年8ヶ月。3航海目はさらに不漁続きで地球を3周。沖で正月を3回迎えなくてはならず、2年2ヶ月という大航海となってしまった。
ミナミマグロの資源不足から、漁獲規制、漁期制限が年々厳しくなっている。当時、日本、豪州、ニュージランドで漁獲割当量は合計3万8750トンあった。それが1987年に豪州政府が、ミナミマグロは絶滅の危機にあると言い出し、1万1750トンに削減。日本の割り当ては6065トンに減らされた。そして今年の10月、日本の漁獲枠は今後5年間6065トンからさらに半分の3000トンに削減されることになった。日本だけが過剰漁獲の責任を負わされ、豪州5265トンなど加盟国の漁獲量は現状維持。短期間で2倍近く魚体が増えるなど実態が不透明な豪州の蓄養マグロについては実態調査のデータ不足という理由で漁獲枠が据え置かれたのはいかがなものか。
日本のマグロ船は延縄で獲る。3000本の釣りにかかるマグロはせいぜい7~8本。1トンくれば大漁。豪州の蓄養マグロは巻き網で魚群を一網打尽に巻き上げてしまう。それもこれから成長する小マグロを。巻き上げた半分はドッグフードになる。日本のマグロ漁師はこういうマグロには決して手をつけなかった。回遊して戻ってくるまで待った。僕が乗っていた頃は、揚がってくるマグロはどれも脂がのって丸々と太っていた。だからキロ3800円、いいマグロには5000円と高い値がついた。
今年の夏、知り合いのマグロ船が1年2ヶ月の航海を終えて清水港に帰港した。キハダがキロ400円、バチ800円、ミナミマグロが1600円の安値で水揚げ高は3億6000万円。1ヶ月遅れて帰港した船は、キハダ700円、バチ900円、ミナミマグロ2700円の値がついた。
現在、ケープ沖の解禁は5月から8月まで。操業できる日本のマグロ船は170隻で、3500トンの割り当て量に達した時点で操業が打ち切られる。それが来年からは半減に。それまでして、暴風圏の漁場へ出漁して採算はとれるのか。次の航海、船を出せれるのか心配だと船長は力なくいった。
 (2006年 12月26日)

 

 漁があるかぎり、マグロ漁船はどんなに海がシケようと休むことはない。「オチナギ」といってマグロはシケのときによくかかる。だからついつい無理をして海難事故も絶えない。船員たちはスタンバイのベルでたたき起こされるとハウスのベッドから丸いポールト(船窓)に目を凝らす。鉛色の空と、白く泡立った水平線と、透明な海中が交互に映しだす。オオトリという真っ白な海鳥が海面から吹き上げられる海水で息ができないのか背泳ぎのように顔を上空に向けて飛んでいる。
「よう、吹きよるな」これがマグロ船の朝の挨拶。長袖シャツにドンゴロスという防寒用の分厚いトックリの上にゴム合羽を着る。毛糸の靴下を二枚重ね、炊事用のゴム手袋をしてその上に軍手をはめる。それでも寒さで手はかじかみ、ドラム缶で沸かした湯の中に手を突っ込みながら漁を続ける。夜になるとさらに冷え込んで、甲板をミゾレが叩きつける。
波の高さ10m。最大瞬間風速40m近い暴風に、釣り針がついた枝縄が風に舞う。海が荒れ、もうこれ以上操業するのは危険だと判断すると、延縄を切り離して操業を一旦中止する。襲いかかる波に向かって微速で前進し、船を「支える」。怖いのは、波を横から受けて魚層に積み上げたマグロが荷崩れをおこすこと。傾いた船体がさらに波に襲われれば、ひとたまりもなく転覆する。
骨のないものほど怖いものはない。と海の男たちはいう。風、波、潮。150キロの幹縄にぶるさげた3000本の枝縄が全部もつれてからみつく。自然の驚異の前に人間はなすすべもなく、ただ甲板を埋め尽くした縄のもつれの山を眺めるだけ。18時間におよぶ揚げ縄がやっと終っても風呂に入って寝るわけにはいかない。このもつれた縄を一本、一本、さばかなくてはならない。そんなこと絶対無理だ!と思う。でも、仕掛けを元通りにしなければ明日、操業できない。嵐の中、寒さと睡魔と闘いながら、乗組員全員でもつれをさばいていく。あきらめずに必死で手を動かしていると、いつの間にかあの絡み合った縄の山が全部解けている。夜が明け、荒れ狂っていた海が凪いでいる。水平線から昇る朝日を全身に浴び、仲間たちの顔は吹きだした塩で白い。
あの朝日の美しさと温かさは今でも忘れない。
 (2006年 10月16日)

 

マグロ漁船の一日は深夜2時ごろから始まる。枝縄の釣りにイカやアジやサバなどのエサをつけて延縄を仕掛ける投縄。この作業は船長、甲板長、一等航海士をリーダーに3班に分かれ各班5名編成。3日に一度この枝縄の番が回ってくる。150kmの幹縄に3000本の枝縄を仕掛けるのに5時間。縄は一たん船から切り離して漂泊。マグロが掛かるのを待つ間に食事。投縄を始める前に食べるのが朝食で、これが昼食になりおかずは毎日マグロの刺身と決まっている。
 午後12時ごろ、スタンバイのベルが船内に響き渡る。
縄の切れ端に船が近づいていき、揚げ縄開始。順調に縄が上がって12時間。その間、夕食と夜食がはいり、操業中は食事が4回。
投縄から揚げ縄終了まで24時間で一回が理想だが、縄が切れたりすると何時間でも探さなくてはならないので徹夜になり、揚げ縄が終わったら休む間もなくすぐその場で投縄が始まる。これを「連チャン」といっているが、私は1ヶ月半休みなく連チャンの経験がある。
 連チャンやったからと漁があるかというと、マグロ2~3本ということもある。
釣れないのになぜ連チャンやるかというと、その場の確保。何月の何日頃に、この水温でマグロが来るという海域を各船の漁労長は知っているから、漁期になるとマグロ漁船が集中する。いい場所の取り合いで各船マグロの群れをじっと待ち構える。
たて込んだ漁場で勝手に縄を入れあえばもつれる。だから、日本船は投縄と揚げ縄の時間を決めて、いっせいに操業する。ソーメンのように縄を平行してやるところからこれを「ソーメン流し」という。
 同じ海域、同じ漁具、同じエサをつけても、釣る船とダメな船との差が出てくる。釣ってる船はすぐわかる。マグロを解体したハラワタを狙う海鳥が船について群れている。
人工衛星を使ったハイテク計器が並ぶマグロ漁船の操舵室。でも、マグロを釣るのは漁労長の腕と勘にかかってる。

 

漁船の中でも一番過酷なのは、マグロ漁船だろう。一度航海に出れば、帰港するまでに1年半から2年はかかり、それだけ長い間、家族と離れて沖で生活する事になる。全長15m、幅8mの狭い空間に20数名の男たちが寝起きを共にする。
僕が初めて乗り込んだ室戸のマグロ船は高知港を出港して、赤道を越え、どんどん南下して40日くらいかけて喜望峰へ向かった。狙うは最も高価なミナミマグロ。インドマグロともいう。漁期は5月から8月頃まで。マグロは回遊しているので、それを追いかけて、オーストラリアやインド洋、太平洋へと移動する。
「吠える40度線」といわれる南緯40度あたりはいつも荒れ狂う暴風圏。正面から5階建てビルのような波が来る。船は木の葉のようにその波に乗り上げ、ドン!!と突き落とされる。横からも波がきて、30度,40度に船は傾く。それで船にしがみついていたら仕事にはならない。マグロ船の事を「縄船」といって、仕掛けた縄を巻き上げていくので、両手がふさがっている。だから、腰だけでバランスをとりながら仕事を続ける。甲板で揚げ縄作業をしている船員たちには襲い掛かる波が見えない。だからブリッヂで舵をとる船長や甲板長が波に注意を払いながら危険だと思ったら「非常ベル」を押す。そのベルを合図に船員たちは作業を止めて、屋根のあるオモテに逃げ込む。その直後にドーン!!と船は波にのみ込まれ、船の体勢がもどったら再び作業を続ける。
一度縄を入れると、すべて引き上げるまで作業は止められない。その延縄の長さは150km。そこに3000本の枝縄がぶらさがっている。東京と沼津間に巨大な縄ののれんがかけられたというイメージ。枝縄を3000本投入するのに5時間。一度船から縄を切り離して、マグロがかかるのを待つ。5時間後に縄を巻き上げていくが、これに12時間から15時間かかる。その3000本の釣り針にマグロが1本、2本しかかからない事だってある。それが、マグロのナグラ(魚群)に遭遇すると、50~60本もかかる事もある。当時、脂ののったミナミマグロの相場はキロ5000円くらいだった。1本100キロとして50万円。マグロがかかるたびに「いらっしゃい!」「銭や!」「お客や!」という掛け声がかかり、マグロ漁には一攫千金の醍醐味があった。だから、釣り上げたマグロの下に傷つけないように毛布を敷いて解剖し、そのままの鮮度を保てるようにマイナス60度で急速冷凍する。そうやって魚倉がマグロで満杯になった時、やっと日本に帰る事ができる。大漁旗をはためかせ自分達が釣ったマグロに高値がつく事を祈りながら家族が待っている母港を目指す。それが遠洋マグロ漁船の航海。

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